引導を渡すとは、仏の道へ進む決心をつけさせるために説法し「喝!」を入れる仏教用語の転用だ。宗派によっては、喝!も引導を渡すしきたりもないそうだから、渡したくても渡せないこともある。他教の信者なら、なおさらである。某自治体の知事は自ら辞任することになったが、前任者が「自分では決められないのでしょう。(かわいそうだ)」とコメントを発表していたことが印象的だった。また「(猫に)鈴をつける」もよく使われる諺で、よいアイデアだが実際には怖くて誰(鼠)も実行できないことの例えだ。ワンマンで利よりも害が長じてきた社長をおとなしくさせようとする場合に当てはまる。今回は、説法されたのか、鈴をつけられたのか。それにしても、組織のトップが交代する(させられる)ことが多い。プロスポーツの監督、株式会社の代表取締役、○○協会の会長、あらゆる「長」のつく役職、いろいろあっても交代しないのは「長」の手足から伸びた糸を操作している誰か、黒幕などと噂をされる者のようだが、世の中に「長」の数ほど黒幕がいたら大変だ。知らぬ間に、私も誰かの黒幕になっていなければならない。さて「うちの社長は会社の『顔』だ」と言うことがあるが、これは褒め言葉ではないように思う。よくある「1日○○長」なら「顔」でよいが、本来なら頭脳でなけれぱならない。かといって「会社の『頭』だ」とそのまま使えば、ワンマン頑固おやじでどうしようもない印象。顧客や社員の話を広く聴き決断できる存在でなければならないから「うちの社長は、会社の『耳』だ」というのが最大の賞賛になるのかもしれない。でも、社内のいたるところに盗聴マイクが仕込まれていそうで怖い。顔か頭か耳か口か。それとも、よく切(ら)れるから「しっぽ」なのか。兎も角、組織のトップであるほど、皆のために働く公人であるほど「広く見、広く聴き、正しく考え、真実を話し、惜しまず働く思想の持ち主」であってほしい。そうだ!「うちの社長は、会社の『心』だ。」がしっくりくる。いや「会社の『主』」には違いない?(2016年6月14日@nortan)