「エスペラント」という世界共通言語への取り組みがある。1880年代にロシアの眼科医ラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフが27才にして創案した人工言語である。彼は6年間もドイツ語・フランス語・ラテン語・ギリシャ語・英語学習に費し、不規則性や例外が一切ない誰もが学び習得しやすい合理的言語を目指した。例えば、動詞(現在形)は-as、名詞は-o、形容詞は-aで必ず終わるというように。日本では1906年に二葉亭四迷が日本最初のエスペラントの教科書『世界語』を著し、宮澤賢治も「イートハーヴォ(-o)」とエスペラント風の名前を作品世界につけている。日本を含む世界各地にエスペテント協会があって、毎年世界エスペラント大会が開かれるほど人々を惹き付ける言語ではある。もし、エスペラント語を身につけられたら、世界中のエスペラント話者を訪ねながら世界旅行ができるという文化もある。しかし、エスペラントは日本語から遠い言語である。それは、西洋の言語がもとになっているからではなく、やはり日常で使わない言葉だからである。最近、興味をもってエスペラントの本を読んでみた。「I love you.」は「Mi amas vin.」その理念に関心はするものの身にはつきそうになかった。「Mi ne povis lerni Esperanton.(I was not able to learn Esperanto.)」さて、EUが統一言語として採用でもすれば、英語に代わる最大共通語になる可能性も高まるだろうが、独語・仏語・伊語・スペイン語と各国を納得させるのは難しいだろう。思い切ってインターネットでの公用語とするか、ロボット言語として採用しない限り、話者ランキング100位からメダル圏内への浮上は望めない。国際的には、このまま「英語」が主流となっていくことは間違いないだろう。日本も2年後には小学3年から英語学習が始まり、小学5年からは成績教科となる。日本語力が十分育っていないのに…という批判派と、国際競争に勝つための英語力は早くから学ばないと身につかないという推進派との折衷案が、小学1年ではなく小学3年になったのかもしれないと推測するが、いっそのこと3才から学ばせてはどうだろうか。漢字や日本語離れも加速して、200年後には『日本語を小学3年から学ばせるべきだ』という主張もでてくるだろう。そこで、未来のザメンホフになって考えを巡らせてみた。「母語も大切にしながら、皆が話したくなる共通語を作れないものか。」「うむ。それは無理だ。流行の歌にするか? 『言葉に~なら~ない~♪』そうだ! 言葉を発する前のイメージ(脳内思考領域の電気信号)だ。それを取り出し翻訳できるICチップを発明するしかない。言葉を用いず、無線通信で直接相手の脳の思考野にイメージを伝達する方法しかない。」未来のザメンホフは、脳科学者か情報技術者にちがいない。考えたことは一瞬で半径50m以内の相手に伝わる。もはやテレパシーならぬイメージ強制伝達である。思ったことは何でも伝わり放題。人混みの中では、頭の中で無数のテレビ番組を見ているような状態。そこから、自分の話し相手の映像だけを選別する。うむ、うまくエラベラレント!?そもそも……エスペラントとは「希望する者」という意味だそうだ。さて、未来のザメンホフが現実となっても「Mi volas.(I want)」希望するかどうかは保留にしておこう。(2016年5月24日@nortan)