45、バべルの塔

漫画家・横山光輝氏の作品『バビル2世』で「コンピューターに守られた」超能力少年が住む塔ではない。そのモデル「旧約聖書の創世記」に登場する巨大な塔である。ノアの洪水の後、生き残った人々はバビロンの地で天にも届かんばかりの塔を造りはじめた。それを見ていた神さまは、団結させぬために人々の言葉を幾つかに分けることにした。結果、人々は互いを理解することができず、塔を放棄して各地に散らばっていった。この記述は、人類が幾つかの異なる言葉を話すようになった原因を説いている。「おー、神様。何てことを。今、外国語の学習に大変な苦労をするのは、そうだからなのですね。」しかし、人類は言葉の壁を乗り越えようとしている。インターネット・翻訳ソフトなどの情報技術を活用して。それだけでなく、人類の知はデータベースとしてまとめられつつある。何時でも何処からでも瞬時にその情報にアクセスする手段が『脳内バイオチップ』のようなものとして発明されれば、学ぶことからも解放されるるだろう。つまり、ネットワーク上のデータベースに問い合わせることで瞬時に答えを手に入れることができるようになる。人類は『集団意識』をもち、難しい判断は人類No.1棋士を破ったような優れた人工知能か、その道の達人サイトが脳間ネットワークを通じてアドバイスしてくれるようになるだろう。試験で「記憶力の競争」をする必要もなくなる。何と素晴しいことであろうか。人類は再び宇宙(そら)にむかって巨大な塔を築きはじめることだってできる、と。ここまで想像して「コンピューターに守られて…いる?いない?支配されている?」と背中にぞくっとするものを感じた。集団思考生物となった人類は、失敗や間違いが減る一方、自分で考えたり・想像したり・思いやったりする個人思考は退化するかもしれない。「おーー、神様。外国語を学ぶ苦労は、そのままに…子どもの頃、超能力で相手の心まで読みとってしまうバビル2世に憧れたけれど、今は、時間をかけて辞書を引きながら外国語の意味を想像したり、相手の気持ちを『思いやったりする』平凡な人間であることの方が、すごい超能力のように思えてきました。」(2016年5月14日@nortan)

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