フランス革命が生み出したのが「自由・平等・博愛とナポレオン」であった。ナポレオンは絶大な人気を背景に『皇帝』にまでのぼりつめた。フランスに勝利をもたらし続けることを約束して。「我輩に不可能はない。」は作り話だそうだが、結局は国民が作り出した英雄像に載せられただけなのかもしれない。昭和の時代、勝って当たり前のプレッシヤーを背負っていたプロスポーツチームの監督やプロ格闘家を連想してしまう。最近ではそのプレッシャーに負けてか、自らの選手生命や過去の栄光を無駄にしてしまったニュースも幾つかあった。人間はどんなに才能があっても『世間(評価)』には弱いものだとつくづく思う。その後のナポレオンは、反乱による退位とエルバ島への左遷、そして脱出、百日天下といわれる復活、ワーテルローの戦いでの決定的な敗戦を経て孤島セントヘレナへ幽閉、と劇的な人生を送る。ヨーロッパから遠く離れた孤島での生活は比較的自由ではあったようだが、5年間何を想い続けて最期を迎えたのだろうか。全てを自らの宿命(評価)と受け入れていたならば、真の英雄であったと言えるが…ちなみに英雄最期の言葉は、最初の妻「ジョゼフィーヌ」だったそうだ。それが真実であるなら、人間にとって最後に残る大切なものは『愛し愛された人』なのだとロマンチックに思う。ナポレオンの評価は、「英雄」から一連のナポレオン戦争で200万近くの死者を出した「悪魔」までと幅広い。現在フランスでは、豚にナポレオンと名付けることを禁止されているというから、その評価の複雑さがうかがえる。一方、今も正式なフランス民法であり、世界各国の民法に影響を与えた『ナポレオン法典』に、そのことは記してあったのだろうかと気になる。さて、どの組織でもトップに立つと自らの決断を推し進めることがある。『評価は、後世(歴史)が決める!』と意気込んでみるが、ペットに自分の名前をつけられた時、喜ぶべきか憂うべきか。それくらいは後世を待たず、自分で決めておきたいものである。思い通りにならないとすぐに「むかつく」「腹が立つ」とショートメッセージで繋がりあう世の中に、トッフ°であるなら評価など気にせずに『我が名を動物につけることを認める』と、せめて就業規則にでも書いておこうか。(2016年5月12日@nortan)