34、アゲハチョウ

「卯月晴れの清々しい朝。1歩先の地面に、黄と黒のアケハ蝶が落ちていた。まだ小さく、新しい羽を閉じて横たわっていた。何気なく、それをつまみ拾って歩道脇の草の上にそうっとのせてやった。後ろを歩いていた子どもが『何を拾ったの?』と尋ねてきた。そのままを答えてやった。」何かいいことをした気になるかもしれないが、蝶でなく蛾だったら同じことをしただろうか。「G」と命名され嫌われ者のゴキブリだったらどうだろうか。と考えた。ちなみに、蝶と蛾は系統分類学的には明確に分けられず、蛾の一部を蝶と言っているにすぎない。全て蛾であり、「美しい」と思う者に「チョウ」という別名を与えているに近い。もちろん、Gも昆虫の一部であり、人間が「気味悪い」と思うゆえに、一般的に昆虫採集の対象とならない。考え方によっては、人類に変に好かれない道を選んだ昆虫といえるが、地球上では人類の方が随分後生まれである。さて、私たち21世紀の人類は過去の学びからヒューマン・ライツ=人権という考えを確立し大切にしている。人間の権利を人種・老若男女・信条・肌の色等で区別しない思想と理解する。先日、アゲハ蝶をつまみあげた話をしたら、一部「チョウとガを区別できないなんて、…」という皮肉として返ってきたりもした。「そもそも、人権は人でなければ関係ない。」そんなことのようだ。そもそも『思想』のあやうさを感じずにはいられない。蝶と蛾、人間と動物、好きと嫌い、なかまと他人。これら全ての判断基準が人間次第なのだ。一度Gのラベリングを与えれば、過去の過ちを繰り返すこともためらわないかもしれない。SF映画などで、一撃で倒される悪役生物の外見は、私たちの「好きなもの」基準からはずれてメイキングされている。地球が存亡の危機に直面した時、もし救生主となる知的宇宙生物が宇宙船で現れ、Gの外見をまとっていたら…。最近は、西洋から動物の権利も人間と同様に考える思想的広がりもあるようだが、未来の私たちの思想はどこまで成長できるのか。勝手に深刻になりすぎたので、ここで「Gのみぞ知る」と駄洒落て、神の姿は…と思いをめぐらせる。(2016年4月24日@nortan)

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