31、伊勢志摩

13世紀末、東洋の姿をヨーロッパに伝えることとなったヴェネツィアの商人で冒険家のマルコ・ポーロ。『東方見聞録』は、参加した戦争で捕らえられていた時に口述で記録された小さな冊子だった。その後、出版されるたびに伝聞されたことが面白く盛り込まれ、初版の何倍もの内容に膨れ上がった。150年後の大航海時代、もはや初版とは別物となったであろう新?偽?見聞録を何度も読み、黄金の国ジパングを目指したコロンブス。偶然、アメリカ大陸を発見し、現代へとつながる。東洋から見えば、見聞録はアジアへの植民地時代を聞くことになる。日本史の視点で考えれば、平泉の金色堂の「噂」が種子島への鉄砲の伝来となり織田信長の戦力を高め、秀吉の天下統一ヘ。その後、幕府の鎖国政策が植民地化を防いだが、一方西洋との間に文明力の差が開いた。200年後、第1の東洋の奇跡「明治維新」で国力の向上に成功したが、50年に渡る戦争の時代の結末として、コロンブスが道を開いたアメリカ合衆国と衝突し、敗戦。一面の焼け野原となった国土から、第2の東洋の奇跡「高度経済成長」を経て、今日へとつながる。歴史に「もし…」はないというが、マルコ・ポーロが実在しなかったのなら…と考えてしまう。遅かれ早かれ、日本と西洋との出会いは必然だったはずだ。今年は伊勢志摩で先進国首脳会議サミットが開かれる。会場となる賢島は、私にとっても思い出の地である。マルコの時代とは違い、世界は狭く・近くなった。200年もかけずとも、国と国とが親交を結び協力し合うことができる。伊勢は、平和を願う日本の中心地であるともいえる。かって辺境の地であったジパングが、洞爺湖に続き、再び世界平和発信の地となることを期待する。(2016年1月2日@nortan)

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