年の瀬、久しぶりにテレビ番組に時の流れを忘れて見入った。日本ブームにあやかって日本食を作ったり武道を教えたりしているが、どこか変である。それで、第一線の達人たちが正しく伝えに行く。サプライズの演出もあって、思いこみと本物の違いを知った時の表情が痛快であった。こんなにもニセ日本文化が多いものかと思うと同時に、正しく知らないのだから似非(えせ)になるのも仕方がない、正しく伝える努力を怠っていたとも反省させられた。日本食にアヤカロウとした外国人は、インターネットから情報を集めたという。現在インターネット網が世界中に張り巡らされて、1秒あたり21000000日分の新聞と等しい情報*が流れているにもかかわらず、その情報を判断し理解しているのは1人ひとりなのだ。next情報社会では、正しい情報であるか正しく伝わったかをチェックする厳しいシステムが必須になるかもしれないと思ったが、そこまでいったら間違いや「似非」と同時に、個性や「らしさ」もなくなるのだろうか?…「1人」が単なる数字の「1」と等しくなった時の恐しさを感じる。私の「1人」とあなたの「1人」とは違うから、「1人+ 1人 = 2人」とは計算できなし、人数は同じでも様々な個性の集団がうまれる。海外の変な寿司屋のようにマイナス要因になるかもしれないが、時には数を上回る実力集団にもなる。私たちは現在、インター・ネットワークで繋がることで、そんな社会を実現しようとしている。そう考えると似非(えせ)文化も面白いし、日本文化を愛してくれること自体感謝である。除夜の鐘の響きに「チェック、チェック」の厳しさではなく「ボオーォ~ン~」と似非や失敗をも愛嬌で包み込む、寛容の心を感じよう。(2015年12月30日@nortan)
*世界でインターネットの1年間情報量 667E(エクサ)B =667000P(ペタ)B =667000000T(テラ)B らしい。
1年 =365日 ×24時間 ×60分 ×60秒 =31536000秒 、 667000000TB ÷31536000秒 ≒ 21TB/秒 =21000000M(メガ)B/秒
1 MB=新聞1日分の情報量