もし、近所の大蛇がペットのチビを丸飲みしても、腹を切りひらいてチビを取り出しきれいに洗って返すか、他のチビ?もしくは金銭の弁済での解決となる。ペットは法律上は物として扱われる。「チビは、私にとって人間同様だ。」それでは納得できぬと動物愛護法を調べてみると、正式名は「動物の愛護乃び管理に関する法律」(1973年)。目的は、動物虐待の防止によって生命尊重・友愛・平和の情操を育てること(教育的側面)と動物による人や財産への危害を防止すること(安全・財産的側面)の2つ、2013年改正ではぺットを死ぬまで飼いつづけることなど飼い主や業者の責任・義務が強化されているが、人間としての規定はない。チビはいつペットから人間になるのだろうか?縄文時代の貝塚から、犬や猫を食べていた形跡が見つかっている。仏教伝来で家畜を食べる習慣はなくなったが、武士の時代になると鹿や猪同様に狩りの結果として食べられることもあった。そして、徳川綱吉が有名な動物愛護法「生類憐みの令」を出して以降は、犬はようやくペットとしての地位を確立していったらしい。これを知ったら、大陸の犬たちは羨んで日本海を渡ったかもしれないと想像するが、将軍によって神様扱いとなっても、まだ人間同様になった訳ではない。古代ギリシャ時代、ピタゴラスも信じていた密教オルペウス教では「人間は悲しみの輪として(人間を含めた動物への)輪廻転生を繰り返す。この輪を解脱するために道徳を重んじよ。」とされていた。そもそも人間は大昔から、動物の中に人間性を感じていたのかもしれないと思う。オーストラリアの哲学者ピーター・シンガー。最も影響力のある現代の哲学者と言われる。彼は著書『動物の解放』(1975年)で「人間も動物も苦しみを感じることができる。ゆえにそれを避けるという同じ利益を所有する。」「人間の小さな利益のために、動物の大きな利益を傷つけてはならない。」と人間の権利と対等だと主張した。そして、肉類・乳製品・卵を食べないだけでなく、蜂蜜もとらず、皮革製品、ウール製品も使用しない完全なベジタリアン(ヴィーガン)を実行している。(ちなみにベジタリアンは、乳製品は食べるとラクト・ベジタリアン、卵も食べるとラクト・オポ・ベジタリアンというように分類されるそうだ。)この『動物の権利』という考えで、ようやくチビも救われるような気がする。チビは飼い主と出会った時から、人間と対等であったのだと納得した。私はヴィーガンにはなれないなあと考えて、ふと気づいた。大蛇の『動物の権利』はどうなるのだろう…(2015年12月26日@nortan)