25、誤見出し

財団は前年の運用利益を各分野のノーベル賞授賞者に還元し、人類の発展に寄与する。1901年から初まった世界的な賞である。我が国も計24名の受賞者を出し、ここ数年は毎年のようにニュースとなっている。喜ばしい授賞であるが、過去にジャン・ポール・サルトルが1964年文学賞を「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない。」と、レ・ドゥク・トが1973年平和賞を「ベトナムには、まだ平和が訪れていない。」と2人が辞退している。ちなみに最年少授賞者は、マララ・ユサフザイ17才で2014年平和賞である。ノーベルは、ダイナマイトを初めとする30にも及ぶ特許、兵器への利用など商業化に成功し莫大な富を築いた。1888年の新聞の誤見出し『死の商人、死す』と記事「瞬時に今までにない大量殺人兵器を発明した博士…」これを読むことになったノーベルは、自分がどう記憶されるか考え続け、ノーベル財団設立の遺言を書いた。研究や文学活動、社会平和活動に尽力した人々に賞が贈られることは、アルフレッド・ノーベル自身にとっても名誉回復活動なのだろう。他に有名な賞を数えてみると、世界的数学賞のフィールズ賞、音楽のグラミー賞、映画のアカデミー賞、テレビのエミー賞、そして、イグノーベル賞から会社のボーリング大会のブービー賞まで多種多様。ブービー賞を「私には値しない。」と辞退すれば笑いとなるだろうが、私たちはどんなに賞が好きなのだろうと思う。いや、「受」賞ではなく「授」賞と書くのだから、授けることが好きなのかもしれない。さて、大晦日も近い。大掃除に誤見出し(ゴミ出し)も大変である。名誉とか記憶とかは置いておいて、身近な人たちに決して辞退できない賞を授けようと思う。授賞会場は心の中、賞名は「ありがとうで賞」である。(2015年12月23日@nortan)

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